土居三山

doisanzan

法皇山脈の中で1500mを超える高峰が連なる土居三山は西から東赤石山、二ツ岳、赤星山と呼ばれ多くの登山客が訪れています。

東赤石山は物住頭を挟んで西赤石山を結ぶ1700m級連山が悠然とそびえます。東赤石山を別子山から登ると8号目あたりから赤みを帯びた橄欖岩が現れる。橄欖岩は、マントル由来の火成岩の一種である。つまり東赤石山は海底で生まれた岩が隆起貫入してできた山である。東赤石山は赤色の岩峰が露出する姿その名前に由来といわれているが、山岳信仰の対象である赤山神にゆかりがあるといわれている。かつて、山腹は「いらずの森」として禁足の神秘が漂い、天狗や、山人にかかわる伝承、遺跡なども数多い。東側には草原スロープをもった権現山があり、法皇権現がまつられています。一帯は、植物分布上極めて重要な高山植物が生育しており、春から夏にかけてはシャクナゲやアケボノツツジの群生も見られる他、赤石五葉松の原産地としても知られています。

二ツ岳は、浦山側の奥深く険しくそびえ立つ姿は誠に雄大神秘です。岩勝ちで総じて急峻で稜線、斜面を問わず岩峰が発達し独特の風貌を醸し出しています。往時「二つ立」と呼ばれ、東鉾石、西鉾石の岩矛がそそり立ち、鉾石宮が祀られ刀が奉納される習いがありました。東側の「ハネヅル山」と共に古代太陽信仰のメッカであったと考えられます。この南斜面一帯も「イラズ」といわれ、往古以来の山岳信仰が生きています。ハネヅル山と峨蔵越との中間には小箱越の道があり、元禄四年別子銅山開坑当初十数年間、鉱石この峠を越え浦山を経て土居町に運ばれ、天満港から積み出された歴史があります。

赤星山は、海岸線から直線で約6kmという近い距離に1500m級の山々がそびえるのは全国に例を見ないです。赤星山は、その姿が富士に似て美しく、西行法師がその昔、川之江付近で「西南の秀嶺」の感銘したと伝え、江戸時代、今治藩士戸田某も東方を望んで「赤坂富士のごとし」と記されたといわれています。夏、さそり座が南中してアルファ星アンタレス(和名:赤星)がこの山の真上に来ます。赤星古来豊年年星と呼ばれて農耕の神とされています。赤星山は、おそらく星宿信仰、山岳信仰から命名であろうと考えられます。この山正北直下、津根の里に延喜式内明神大社村山神社が鎮座します。この山を神体山とする古代信仰に源があるに違いありません。

問い合わせ先:土居観光協会 愛媛四国中央市入野965-1
℡(0896)74-5889

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